ji-iのんべえ爺さん自転車に乗る

ちょっと飲んでは走り、走っては飲む爺です....が、最近医者に止められて飲めなくなりました

2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧

甲州街道、木曽路、東海道の旅ももうすぐフィナーレだ

熱海から湯河原、真鶴と矢のように走ってきた。真鶴を出ると急な坂道と南に向きが変わって向かい風!。トンネルを抜けると太平洋がドーンと現れる。海岸沿いの快適な道が小田原手前の早川まで9km続く。小田原着11時。速い!。伊東から上り下りの多い国…

懐かしい相模湖サイクリング

一つ前の記事...赤根崎付近かも...の画像に写っていた、まだきれいなアルミボトルは翌年2月同級生と相模湖へサイクリングに行ったとき、火にかけて真っ黒になったのでプレゼントした。2018年その同級生と50年ぶりに再会した。あれから一度も使ってな…

家に帰れる喜びで自然に笑みがこぼれる

3月31日金曜日旅の最後の日がきた。午前8時出発。昨日は旅の終わりの虚しさを感じていたが、現金なもので今日は家に帰れる嬉しさで気持ちがウキウキする。外に出ると南風がビュービュー吹いていてムッとする暖かさ、というより少し蒸し暑いぐらいの陽気…

亀石峠からの下りは大変寒かったことを覚えている

亀石峠の上りは田原野あたりからだんだんきつくなる。時々自動車の窓から「がんばれよ!」と声を掛けられる。亀石峠着11時半。頂上は眺めが今一つの枯れ山、早々に下り出す。下りは上りと打って変わって大変な急坂、風を切って非常に寒い。やがて道の両側…

酔っぱらいが何か寝言を言ってます

今月21日が十五夜だそうで。待ちきれない爺は今日からお祝いです。ああ名月や、名月や。今夜は久しぶりに日本酒でだいぶ回りました、ハイ。すみません。おあとがよろしいようで。では失礼します。 あぁいい月じゃ!いい月じゃ!

この当時3月の終わりでも寒い日が続いた

3月30日木曜日、8時出発。旅もそろそろ終わりに近づいてきた。一抹の寂しさと家に帰れる喜びの入り混じった複雑な気持ちが交互に頭の中を通り過ぎていく。このまま伊東に寄らずに箱根を越えて真っ直ぐ帰宅しようかな...と安易な考えがふとよぎる。だめだ…

教訓を得た...しょぼい旅館には泊まるな

沼津から東海道本線の南側の道を進み午後3時三島に着いた。ここの契約旅館は今までで一番ショボい。食事は台所で摂るんですよ!。下宿の学生って扱いだな!、プンプン!。20年ぐらい前に行った秋田の湯治場みたいだ。蒲郡の400円の旅館もすごかったが…

千本松原も曇天だと寒々しく見える

海岸に沿って延々と松林が続くところに出た。いわゆる千本松原だ。松の木が海風を受けてみんな富士山側に傾いている。このあたりから空が曇ってきて肌寒くなってきた。とともに気持ちまで寒くなるから不思議だ。静岡市から見た富士山は切れ味鋭く見えたが曇…

このあたりは上り坂が少なく坦々と距離をかせいでいた

興津を過ぎると南アルプス南端の山塊が左から迫ってくる。駿河湾に落ち込む狭い狭間に何本もの鉄道と道路が集中している。特に由比付近では海側から東名高速、国道1号線バイパス、東海道本線、旧東海道、県道と並んでいる。爺が通ったのは県道に格下げされ…

清水のクニモチサイクルで故障をただで直してもらった

海岸線の道路を走ると石垣全体がビニールハウスに覆われていて赤いイチゴが鈴なりだ。今では山の中腹まで石垣を積み上げ立派な観光農園になっている所もあると聞く。さっきからフロントマッドガードがビビっている。清水駅前交番で尋ねたらクニモチサイクル…

興味はなかったが一応寄ってみた

3月29日水曜日駿府城近くの転勤者用宿舎を出て一路南下する。天気は晴れ、ただし風は冷たい。10分で登呂の遺跡に着く。竪穴式住居を見学した感想、雨が降ったら入口からどんどん水が入りそうだな。昔の人はどうしていたのだろう?。登呂の遺跡から海岸…

ほんの少しだけれど毎年咲いているヒガンバナ

台風が近づいているそうで...雨が降る前にひとっ走り。ここは自宅から500m、川崎市宮前区小台というところ。この坂の上に無添くら寿司がある。この坂がきつくて最近はくら寿司には行ってない。東急田園都市線鷺沼駅から坂道を下りてきたらヒガンバナが咲…

この日は晴天でペダルを漕いでいると汗ばむくらいだ

この宇津ノ谷トンネルは上り専用として現在でも供用されているが当時は対面通行をしていた。1998年に下り専用トンネルができたのでこちらを上り専用としたもの。現在の国道1号線は小夜の中山を越えた後、金谷の街を北に大きくバイパスし旧東海道から遠…

天気が回復して気持ちも晴れやかになってきた

小夜の中山の二つのピークを越えて曲がりくねった道を下りていくと左に金谷の街がパァーッと広がり狭苦しい山路から解放されて爽快な気分になる。街に入るとすぐ大井川を渡って島田の街並みへと続いていく。藤枝の大きな街に入るころから天候が回復してきて…

前方のマンションのあたり昔は大きな竹藪があった

天気が良いので近所を散歩してきました。今年は例年より早くヒガンバナが咲き始めたようです。 厚木街道 鷺沼 新道旧道分かれ道にて

狭苦しい山道から広々としたところに出て思いきり背伸びをした

この場所はよく覚えている。国道1号線の小夜の中山トンネルを抜けた途端パッと目の前が開けて気持ちの良い場所だ。今でも風景はほとんど変わっていない。写真には写っていないが右の方に宝暦5年(1751年)創業の食堂兼土産物を商う小泉屋がある。中で…

東海道はいつの時代でも混雑しているね

3月28日火曜日、午前8時出発。昨日の雨は止んだが空は曇っていて気持ちがすっきりしない。掛川を過ぎて東海道の三大難所の一つ小夜の中山に差し掛かる。漂泊の歌人西行法師が1187年69歳で越えたとき「年たけてまた越ゆべしと思いきや~」と詠んだ…

蒲郡を出ると雨が降ってきた

3月27日月曜日宿を出ると生憎の曇り空、走り出すとすぐポツポツ降ってきた。今日から走る方向が東に変わる。旅程も半分過ぎた訳だ。国道1号線に出ると見覚えのある所に来た。汐見坂だ。3年前の1964年奇しくも同じ3月27日、父親の転勤で兵庫県西…

ここがどこなのか54年も経つとさっぱり分からない

3月26日日曜日、走り出すと汗ばむくらいの陽気だ。三日前の鳥居峠の雪がウソみたいだ。画像の場所は猿投付近と自分でメモしているがさっぱり思い出せない。もしかしたら違っているかもしれない、その際は年寄りに免じてご容赦下さい。焼き物が並んだ店で…

近所の老人ホーム

昨日の続きの近所の老人ホームです。写真を撮っていると中から係りの方が爺のことを窺っているように見えました。撮影許可はもらっていないので軽く会釈したのですが、お気づきにならなかったようです。ちゃんと許可をいただかなくてはならないのに申し訳な…

すみません、ここもどこだか分かりません

3月25日土曜日、叔父に手配してもらった宿は中津川から43.7kmの多治見の街の中にあった。43.7kmですよ!、あまりにも近すぎる!。叔父はサイクルツーリングのことを弥次喜多の珍道中ぐらいにしか考えていないのかな?でも叔父の手配はここまで…

木曽谷も大きく開けて伸び伸びしてくる。自転車を停めているだけでトラックが大きくよけてくれる。今では考えられないことだ。マナーが良かったんだね

(木曽の旅の続き) 画像は読書ダムから5~6km進んだ坂下あたりではないかと推察している。当時と比べて国道わきの樹木も相当成長していると思う。この辺まで来るとV字型の木曽谷もだいぶ空が広がり伸び伸びとしてくる。洗馬~木曽福島あたりまではV字型…

たまに気分転換に近所の老人ホーム....気分転換にならないかなぁ

いつもモノクロ写真ばかりなのでたまには色のついた画像を貼ります。うちの近所の老人ホームです。今の木曽路~東海道紀行は終わるまで1週間ぐらいかかりますのでたまに気分を変えてみますね。 近所の老人ホーム

最初は医療センターができると言っていたような.....

いつもモノクロ写真ばかりですみません。今日天気が良かったので近所をブラブラしてきました。うちの近くの宮前平駅です。この空き地、コロナのせいで1年半も放置されていましたが来年夏テニススクールを作る工事を始めるそうです。 宮前平駅前の空き地

ようやく春らしい暖かい陽気になった

3月24日金曜日、画像は木曽福島を出て約37km走ったところの読書(よみかき)ダム付近らしい。(←当時のアルバムにそう書き込んであった。)道路標識に中津川18kmと記してあるから多分合っていると思う。標高は木曽福島が755m、ここが375m…

これで何度目だろう?爺の場合姿は見えなくて音だけ聞こえる場合が多い。

木曽福島の旅館で夕食後、旅館の小学生の兄弟が部屋に入ってきて「どこから来たの?」とか「お兄ちゃんの自転車何段ギヤ?」など色々聞いてきた。女将さんに追い立てられて夜9時過ぎには部屋から出ていったが、その夜二階で走り回る音がする。翌朝女将さん…

いかにも侘しげな木曽路の蒸気機関車D-51

振り返って後ろ姿の貨物列車を見送る。これから延長1600m強の鳥居遂道を抜けるのだ。しかもこの時代はまだ単線、大変だな。時間で3分以上暗闇の中で煙と戦わねばならない。排気ガスの充満する自動車トンネルの1100mぐらいで弱音を吐いてちゃいけ…

鳥居トンネルを抜けたあとの右カーブは今も時々夢に出る...ううぅ寒ぅ!となる

9月10日のブログ...旧鳥居トンネルを藪原側へ抜けた後の続き...開道記念碑に腰掛けて弁当を広げる。石碑の土台が冷え切っていて短パンの尻と太ももの裏が冷たい。塩尻で作ってもらった巨大なオニギリを無理やり胃袋に押し込んで午後1時出発。まだ少し雪…

1967年3月雪の降りしきるこの場所でトンネル内交互通行の順番待ちをしていた。

旧鳥居トンネル奈良井側坑門から奈良井方面を見る。いずれここも自然に還るのだろう。トンネルを出ると国道は急激に左に曲がり奈良井川に沿って崖っぷちの急坂を滑り降りていく。 トンネルの出口広場から奈良井方面を見る

トンネル入り口で待たされたことが思い出される

次は旧鳥居トンネル奈良井側坑門。坑門ですよ!坑門!字を間違えてはいけませんよ!ヘヘヘ!念のためね。ここも荒れ果ててしまった。爺はこの場所で53年前の3月、ボタン雪が舞う中、寒さに震えながら交互通行の順番待ちをしていたわけだ。この画像を見て…