ji-iのんべえ爺さん自転車に乗る

ちょっと飲んでは走り、走っては飲む爺です....が、最近医者に止められて飲めなくなりました

2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

怖い吊り橋の棡原橋

画像は棡原橋を渡って上野原方面に200mほど進んだところから撮ったもの。この外観からは底が所々抜けているなんて想像がつかない。1968年当時、この橋の前後は幅3mぐらいの非舗装路で通る人もほとんどいなかった。 所々底板壊れてて谷底が見える棡…

危ない吊り橋も頑丈な橋に生まれ変わった

現代の棡原橋、橋の欄干に平成6年(1994年)3月竣工と書いてある。ということは爺が通った1968年以降26年間もあのままだったということかな?。もちろん、猪丸から上野原に抜けるには鶴川を挟んだ対岸に立派な県道が整備されていたので困ること…

昔スカイラインでこの橋を渡ったことがある、無謀だったなと今は思う

素掘りのトンネルを出るとすぐ30m先に危なっかしい吊り橋が出てきた。棡原橋だ。折から少し風が吹いてきて何やらユラユラ揺れている。眩暈でもしたかと思った。渡り始めると所々底板が壊れていて谷底が見える。おっかねぇぇ~!。地元の人はこの橋を軽四…

棡原橋のすぐ手前にあるトンネル

猪丸から旧道に入る。棡原(ゆずりはら)のワイルドな素掘りのトンネルを抜ける。昔の人が削岩機だけで造ったことを考えると頭が下がる思いだ。さぞかし大変だったろうな...と。 ワイルドな素掘りのトンネルを抜ける

以前小菅~上野原の約26kmは全線非舗装だった

小休止の後三人揃って峠を下り始める。大きな水車が目印の長作を過ぎ快調に下っていく。途中西原で小さな峠を越えるがそれを過ぎるとまた下りになる。下りもいい加減にしてくれと言いたくなる。それほど下りが長く続くのだ。画像は2011年6月、日寄せ神…

ガードレールのない非舗装の峠路

峠から小菅方面を見下ろすと200mほど下方に自転車を押して上ってくる長谷川さんが見える。「おーい!」と呼びかけるとニヤリと笑った顔が元気そうで安心する。 最後の九十九折......鶴峠

爺の髪の毛フサフサだね!

午後1時0分O久保さんと二人で標高870mの鶴峠に到着、長谷川さんを待つ。上りでは暑くて汗を掻いたが峠の丸太の上で休んでいるとあっという間に冷えてくる。 鶴峠に着いた

現代の鶴峠上り口

2011年6月に再訪したときは道の両側に樹木が成長しており、一つ前の写真のような荒々しい感じはすっかり消えていた。画像中央部やや左に木の幹を透かして白いガードレールが見える。一つ前の画像は43年前このガードレールの場所に立っていたO久保さん…

当時の林道はこの程度の粗雑さが当たり前だった

そこを過ぎると左上に鶴峠の九十九折の峠路が現れる。それにしても当時の林道工事はいい加減だ。画像の左の白い橋台は基礎の下から土砂が流出しているし、我々の上部に写っている斜面は崩落防止策も施していない。右上二つ目のヘアピンカーブの橋台の下も土…

今でもこの上りのきつさを思い出す

現代の白沢からの直線の上り。この一直線の上りがきつかった。一つ前の写真はこの画像の一番奥の地点で撮ったもの。(2011年6月9日撮影) 1km続く直線の上り

「おーい」と呼びかけると「先に行ってくれ」と長谷川さんに言われた

白沢の集落を過ぎるころから再び長谷川さんのペースが落ちてきた。息が苦しそうだ。先に行ってくれと言われてO久保さんと急坂を上っていった。この画像の先に約1km続く直線の急坂がある。 この先に1kmの直線の急坂がある

O久保さんが初めてのパンク

坂を上りきってヤレヤレと思うのも束の間O久保さんがパンク。何やら手つきがもどかしい。聞いたらパンクは初めてとのこと。一応長谷川自転車商会でパンク講習を受けてはいたが、なにぶん初めてなので手順がちぐはぐ。見ていられなくてついつい手が出てしまっ…

白いのは爺の自転車、向こう側の黒いのが長谷川さんのケンコー号。この自転車は今も長谷川自転車商会に飾ってあるが、もう二度と地上を走ることはないと思われる。

余沢で小菅川を渡ると今度は胸を突く心臓破りの上りが待っている。こっちの道は乾いていてなんとか乗って上れる。O久保さんはフロント36T✕リヤ24Tでゆっくり上ってきた。爺はフロント30T✕リヤ24Tでまあ割と楽だった。長谷川さんはかなり厳しかったよ…

いまは舗装されているがこの坂は怖かった

深山橋を渡り小菅方面に向かう。余沢で小菅川を渡るとき、下りが逆落としのような急坂。長さ200mの坂道で20m高度を下げる。道がぬかるんでいてタイヤがズルズル滑る。自転車から降りてブレーキを掛けるがまるで効き目なし。滑らないように道の端の草…

やっと奥多摩湖についた

お昼前に奥多摩湖に到着、ここで昼食。ここはもう標高530mもある。長谷川さんにとってはだいぶきつかったみたいだ。ベンチに腰掛けてもなかなか息が収まらない。長谷川さんに「ボトルの中身ウィスキーですか?」と尋ねたら「エヘヘヘ!」と笑っていた。…

お互い年取ったね...長谷川さん(右)と爺

一つ前の写真、鳩ノ巣渓谷の画像が1968年、49年後の2017年の画像がこれ。二人とも劣化が著しいですなぁ...!。爺のビニール手袋はM田さんから教わったもので自転車をいじるとき手を汚さないため。この日はブレーキシューを交換しにきた。 長谷川自…

鳩ノ巣渓谷にて...長谷川さん(右)若い!爺の時計は1964年製のセイコーワールドタイム、今でも現役で使っている

鳩ノ巣でまた休憩、長谷川さんが遅れがち、このとき爺は19歳、O久保さんが17歳、長谷川さんは32歳だが20歳ぐらいの学生時代は相当鳴らしたと聞いている。今は仕事一筋でサイクリングから遠ざかっていたようだ。トレーニング不足は否めない。20歳で…

岩肌がむき出しのトンネル内部

御岳あたりから頬に当たる風が冷たくなってきた。世田谷では少しずつ暖かくなってきたがここ奥多摩はまだ冬から抜け出せないようだ。素掘りのトンネルをいくつか抜けるたび、多摩川の渓谷が深くなっていく。当時のトンネルはご覧の通り入口はコンクリートで…

長谷川さんの話は道中ずっとダジャレばっかりだった

(爺の昔話) 鶴峠日帰りツーリング 1968年3月下旬、O久保さんとどこか行こうと話し合っていた。長谷川自転車商会の親父さんも話しに加わり、鶴峠に決まった。以前3月下旬の月曜日と書いた記憶があるが、多分勘違いしていて4月1日月曜日だと思う。朝…

1969年5月以来48年ぶりに来た信州峠

自転車に乗っているところも撮ってもらった。これで家内にも偉そうに語れるというものだ。この後恒例の地酒探し、中央高速長坂インター手前にあるスーパーオギノ長坂店で900mlで980円というその名もずばり「地酒」という土地の醸造所が作った味わい…

車に乗せ昨日に引き続いて二度目の信州峠

昨日はバテて信州峠の頂上でだらしない恰好を晒してしまった。今日は雨の中、車に乗せてきてもらったので全く疲れていない。車から自転車を降ろして一応バッグを付けて、らしきスタイルでカメラに収まった。昨夜来の雨で紅葉が一段と進んだようだ。 昨日の雨…

霧雨の中では怪獣のように見える瑞牆山

おおぉ!なんという色数の多さ!。これが晴れていればなぁ!瑞牆山のシルエットもはっきり出たのに...。こういう被写体には色の微妙な諧調も忠実に再現するツァイスレンズの独壇場だ。残念ながら爺のレンズはツァイスではないし、また雨や曇りなど低コントラ…

モミジのグラデーションが見事

次は木によって色づき方に違いが出るモミジとハイキーな背景の白樺の白。瑞牆山はさらにこの後ろにあるはずだが煙霧に隠されている。 色づき方の違いが面白い

瑞牆山自然公園は初めて来た

増富温泉不老閣を後にA藤さんと爺は瑞牆山荘までやってきた。久しぶりに瑞牆山荘を見たときは「そうだ!こんなところだった!」となんとなく覚えていた景色が蘇ってきた。みずがき山自然公園では白樺の黄葉とカエデのグラデーションが美しい。 みずがき山自…

雨の中みずがき湖まで下りてきた

早速自転車をバラシ始めたみんなを横目で見ながらY田さん、A藤さん、爺の三人はみずがき湖に駐車している車を取りにバスに乗っていく。また旅館まで引き返して自転車を積んで帰ることにした。旅館不老閣の前がバス停なので便利。このバスの運転手さんが大…

増富温泉不老閣でみんなとお別れとなった

女将さんの入浴指導を受けてラジウム温泉に浸かると筋肉痛もウソみたいに消えてしまった。翌日は残念ながら雨、みんなは予定を変えてそのままバスで韮崎まで帰るとのこと。 翌日は雨だった

焼き鳥を仕入れて湯上りに一杯やろうと意見一致

ならば峠まで上ってこないで黒森で待っていればよかったのではないか?...の話だが、爺ははるか昔に上った峠を再び自分の足で訪れて見たかった。そして懐かしの信州峠で皆と待ち合わせて揃って峠を下ることを楽しみにしていたのだ。画像は神戸トンネル旧道の…

神戸トンネル旧道を抜けて焼き鳥屋に突入した

先に信州峠に到着していた輪行組と合流し6人で黒森まで豪快なダウンヒル。たった3kmだが下り坂が急すぎてブレーキレバーを握る手が痛くなる。この3kmだが上りは2.5時間、下りはたったの8分。みずがきそば処で昼食後さらにみずがき湖まで下る。明日…

1968年5月に来たときのもの

その時の画像をもう一枚。手前のツーリスモが爺の自転車(今乗っているのとほとんど変わらない)、その隣がT橋さんのランドナー、たしか組んでまだ2カ月ぐらいしか経っていないはず。爺!髪の毛フサフサじゃん!。爺も70過ぎてこんなに頭が寂しくなると…

48年振りってずいぶん昔の話しだね!

思い返せば1969年5月4日、夕方遅くなって信濃川上から上り始めたことを思い出す。秩父から三国峠越えで想像以上に時間がかかり信州峠に着いたときは真っ暗だった。目の前にいるO久保さんもそのとき一緒にこの峠に立った仲間のうちの一人だ。画像は黒森…