入院前に
6月14日から今日までで八日間も休んでしまいました。もうこの頃は3kmも走ると息はゼイゼイ、口はパクパク、まるで酸素が足りない金魚みたいだった。
近所の内科医で治療を受けていましたが某大学病院への紹介状をもらい検査を受けてきました。
内視鏡検査、MRI検査、CT検査など。結果は思わしくないものでした。
来週からはさらに2週間の入院となります。
真に申し訳ありません。少し多めに休むことになりそうです。よろしくお願いいたします。
高原野菜畑へ
「あんたも好きだね!」と言われそうな写真。通り過ぎる車はなかったが人が見たら「何しているんだ?」と思うだろうね。
車から自転車を引っ張り出して自分は傘を差さないでカメラに傘を差している。
高級カメラとか長玉の白レンズをいじっている訳でもないし....。
見るとただのコンパクトカメラだし。
何も雨の日にわざわざ写真を撮らなくても....という声が聞こえてきそうだ。
足元はドロドロ、帽子は濡れてヨレヨレ、煖房を効かせながらエアコンをつけているので喉はガラガラ。
この地区は7月に入り気温が安定するとキャベツ、レタス、ブロッコリーなどの出荷で大忙しになるそうだ。
高原野菜は野辺山と並んで川上村も相当盛んだ。
川上村に入る川上大橋の親柱に実物と同じくらい色鮮やかな野菜のレプリカが飾られている。
本物と勘違いして持って帰ろうとする人もいるのではないか。
★増冨ラジウム温泉★
2017年にも仲間6人と不老閣に来たことがあるが、今回はその隣の金泉閣にお世話になった。膝と足の裏が痛かったのがだいぶ良くなったような気がする。
昨年12月に5回目のコロナワクチンを接種したがそれ以来左肩が上がらなくなった。
医者は七十肩だという。それもラジウム温泉に浸かって改善されたように思う。
皮肉だね。帰る日になると晴れてきた。途中明野村にあるハイジの村に立ち寄ってみた。
見ごたえのあるバラが沢山植わっていて大変良かった。また、むせ返るようなバラの香りに少し酔ったような気分になった。
想い出はるか 完
3月ごろから咳が続き最近特にひどくなったので病院に行ったところ、このまま放っておくと喘息に移行するとの診断でした。申し訳ありませんが治療に専念するためしばらくの間ブログを休ませていただきます。
ダケカンバの林
麦草峠は頂上付近が平坦で直線がほぼ1kmも続く道のためどこが最高地点(2127m)なのかはっきりしない。
白駒池の近くで材木切り出し中の運転手さんに「峠までもうすぐだよ」と教わったので猛チャージで峠まで上りきったことを覚えている。
そのとき雪が一番ひどかった。おかげで白樺林がダケカンバ林に変わっていたのに気が付かなかった。
結局佐久から麦草峠を越えて蓼科湖にいたる38,4kmの間に出会った車はさっきの材木切り出しのトラック1台だけだった。
雪が眼鏡に積もり難儀したがそれよりも短パンでは寒いのでこの雪の中、下着のパンツ1枚でGパンに履き替えるのがつらかった。Don't worry! I'm wearing!
もう少し標高の低い地点での写真。ここは55年前の八千穂高原スキー場付近の白樺林。今このあたりの白樺は工事のため軒並みなぎ倒されてしまった。
今回佐久には下りずに途中の分岐で右折して松原湖に向かった。
昔リゾートホテルがあったところが今はキャンプ場になっている。
地主が変わるたびに白樺林が小さくなっていく。
松原湖は往年の賑わいが薄らいでかえって落ち着いた良い雰囲気になった。
爺が若い頃は一泊二食付きで700~800円ぐらいで泊まれた。
安いだけに混んでくるとふすまを開けると隣は知らない人....なんてことがよくあった。
雨の白樺湖
翌日、予報で雨と分かってはいたもののもしやと思いカーテンを細めに開けてみた。
良かった!、まだ降っていない。
湖畔を散策する人も心なしか背中をすぼめてトボトボと歩いている。
カヌー体験で集まった高校生たちはめげずに元気よく漕ぎだしていく。
朝食を終えて出発する頃ポツポツフロントウィンドに雨粒が当たり出した。
気持ちは滅入るが写真だけは撮っておこうと白樺林で写真を撮ってみた
ダイソーで購入した12枚入り100円のシャンプーキャップがサドル保護に大活躍。
八子ケ峰、鈴蘭峠を越える。学生時代このあたりの急坂を喘いで登ったことが思い出される。
想い出のある蓼科湖に寄ってみた。ここは1968年10月29日雪の麦草峠を越えてきて立ち寄ったところ。
雨のため観光客はほとんどいなかったが午前10時を過ぎると旅館をチェックアウトしてきた家族連れなどで無料駐車場も埋まり始めた。
駐車場内にあるアイスクリーム屋を覗いてみる。お店の人の売り込みが大変上手で寒かったが思わず購入。
一つ500円の蓼科高原牛乳ソフトクリームという人気商品(お店の人の話し)はお勧めするだけあって濃厚なクリームの味が活きている。
蓼科湖を後にして、55年前に来たときとは逆のコースで麦草峠を越えようと思う。
峠の麦草ヒュッテで記念撮影。昔はこれほど立派なものではなくこじんまりとしたいかにも山小屋風の建物だった。
以前雪の麦草峠を越えてこの山小屋で熱いお茶をご馳走になった。ランプが吊り下げられた窓際で外の自転車を撮ったことが懐かしく思い出される。
十石峠の下りは急坂だった
十石峠から急な荒れた小路を駆け下りてくると3,8kmで画像の断崖絶壁の場所に来る。ここは55年経った今も道が舗装された以外何も変わっていない。絶壁もそのままだ。そこから300m下ると乙女の滝がある。
乙女の滝から2,6km下ると古谷(こや)ダムの天端道路があらわれる。
爺が走ったころ道は抜井川に沿って左岸を約1,6km走り落合橋で右岸に渡っていた。
落合橋は今も鮮明に覚えている。長い坂を下りてくると道が上りになる。「こんなところで上り?」と驚いたがすぐ落合橋で対岸に渡ると知って安心した。ここまでが馬返し集落、橋を渡ると古谷集落になる。
落合橋から1,1km進むと画像の場所に来る。この集落の佇まいは道が舗装された以外55年前と変わらない。
さっきの集落から600m走ると爺が走ったころの旧道が現れる。
旧道を900m進むと矢沢集落の火の見櫓があり、その先100mに写真と同じ場所がある。
この辺りではもう真っ暗で写真を撮れなかった。1968年の写真の時よりもっと暗かったのだ。
グーグルストリートビューで見ると今も55年前もほとんど景色が変わらないことが分かる。
車を停めて往時を偲んでみる。写真を撮っていて下校中の小学生たちに「いま何時?」、「変な自転車!」、「袋一杯つけてらぁ」などと声を掛けられたことを...。
その子供たちも今はもうみんな60歳を過ぎているのだろう。
黒川沿いの原生林を往く
楢原から十石峠に向かって走り始めると最初は北西方向に進み、突き当りの沢からは東へ向きを変える。
そのころから左手に妙義山が見え始める。と同時に巨大な朴の木が現れる。紅葉しているのが1968年に撮ったもの。
赤い車が写っているのが2009年のもの。
最後の尾根を右に巻いて再び北西に向きを変え約600m進んだところが次の写真。
尾根道の右端に尖ったピークを持つカイト山(テントを張ったような山)が現れる。楢原で撮った写真に比べてだいぶ高度を稼いできたのが分かる。
左の方に槍ヶ岳に似た在りし日の叶山も見える。在りし日と書いたのは叶山は秩父太平洋セメントにより山頂部が削られ、もはやかつての山の姿を知る術がないからだ。
1968年秋にはあんなに眺望の良かった尾根伝いの道が2009年6月には鬱蒼とした広葉樹の林に変わっている。もちろん、撮った場所は全く同じ地点だ。
あらゆるものが55年という長い時の流れに風化され、変質して目の前を通り過ぎていく。
13時30分に十石峠に着く。
頂上で浜平鉱泉で作ってもらった握り飯を頬張る。大きなおにぎりが二つに漬物が少々というものであったが旨かった。
10月下旬の標高1351mの峠は冷える。上りで漕いでいる時は暑くてたまらなかったが昼食を摂り終わるころにはガタガタ震えがきた。
十石峠は何もない寂しい峠だった。頂上付近の紅葉は色褪せてしまっており、国有林を示す看板の文字だけが一面の枯草の中で場違いな白さを際立たせていた。
2009年の十石峠頂上の写真では国有林の看板の位置だけが変わらぬ場所に立っていた。
そう!国有林の看板は1968年の物と比べて造りがしっかりして文字は縦書きから横書きに変わっていた。
兵どもが夢のあと~奥多野館
橋を渡って左に回り込むと玄関が現れる。久しぶりに見た玄関、なんという散らかりよう、朽ち果てた遺跡の如き変わりように言葉もない。
いつかもう一度来ようと楽しみにしていた奥多野館の変わり果てた姿に眩暈がしそうだ。昔の面影を残していて欲しかったが詮無いことのようだ。
1996年に廃業してから今年で27年も経つ、仕方のないことだろう。
爺の想い出の中にある浜平鉱泉はうだつから青い煙をたなびかせ、
囲炉裏があって、ブチという白い猫が虫と戯れ、
欄間に大きなヤマメの魚拓が飾ってあり、
開けっ放しの玄関から両手一杯に山菜を抱えて帰ってきた女将さんが見える.....そんな宿だ。
玄関先に自転車を立て掛けてみる。あの時と全くと云っていいほど変わらない自転車だ。
思えばこの玄関先で親父さんに切れたシフトケーブルを直してもらったのだ。
あの時もたしかにここに立っていたのだ。
ケーブルを洗う塩酸の匂いまで漂ってきそうだ。
想い出は帰らない。それが切ない。
いつまでも感傷に浸っていてもしようがない。
もう二度と来ることはないだろう。
後ろ髪を引かれる思いで奥多野館を後にした。
神流川の段丘を越えて表通りに出れば時期は少し遅いがオドリコソウが咲いていた。
この花もいつか想い出に色を添えてくれるだろう。
★テントを張ったような山が見える★
だいぶ時間が押してきた。もう夕暮れ時だ。夕方の光量の乏しい時間帯であらゆる物のコントラストが低い。
楢原郵便局から1,3km進むとテントを張ったような山(カイト山)が見えてくる。
テント型の山と右隅の自転車が判別できるだろうか?。
ちなみに1968年に来た時はまだ午前中で陽がしっかり射しておりカイト山の色もきれいに出ている。
家々の屋根、壁などしっかり手入れされているようだ。現在の写真と見比べても古さを感じない。