ji-iのんべえ爺さん自転車に乗る

ちょっと飲んでは走り、走っては飲む爺です....が、最近医者に止められて飲めなくなりました

旅の終わり....虚無感に包まれる

 

やがて十字路にぶつかって左鮫川、右棚倉、直進塙の標識が現れる。ここから棚倉町内に入る。右折するとどこか記憶にある景色、そうだ!3年前の2016年11月、みんなと鮫川村の湯の田温泉「つるや」に行ったときここを通ったんだ!。(2021年8月21日のブログに記述)そのときみんなで食事をした場所にもう一回行き記念撮影して往時を懐かしんだ。ここから棚倉までおおよそ5・4km多少の上りはあるが概ね下り、20分もあれば着くだろう。思い出に耽る爺を置いてみんなは棚倉の街へと走っていく。黄金色に輝く仲間の後ろ姿を目で追いながら、一人残された爺は阿武隈の碧い風に吹かれていつまでも佇んでいた。

阿武隈ツーリング 塩ノ沢温泉 完

3年前もここで昼食を摂った



この顔にピンときたら110番

一つ前の写真の中央に左右に流れる小さな川がある。浅川町を流れる社川の支流殿川だ。この川のほとりでI川さん得意の野点をすることになった。右に座っている爺はシクロランドナー変速機の不調で浮かぬ顔をしている。このツーリングの3年後、2021年12月19日のブログの通り強風で自転車が倒れたら1速に入るようになったというウソみたいな話がある。

指名手配犯ではありません

I川さん、Y田さんと別れた我々4人は根岸地区で県道75号線で寄り道して帰ることになった。大草地区で民家の垣根に見事なモミジが手入れされているのを発見。M山さんと2台並べて写真を撮った。この県道75号線は交通量が少なくゆったり走れるので我々のようなロートルサイクリストにはうってつけの道だ。

民家の垣根に見事なモミジ

 

鳥類の撮影が得意なM山さん

宿を出て300mぐらいのところを走るM山さん。彼は鳥類の写真が好きでなかなか珍しい鳥の写真も持っている。撮影に夢中になると泥田に入り込んで足元を汚したりすることもあるし、みんなとはぐれてたった一人になってしまうこともある。

みんなに遅れて走ってくるM山さん

その後アップダウンを繰り返し雲五郎山の麓を通って浅川町の田園地帯にやってきた。閉塞感いっぱいの山の中のから一面に広がる田んぼの広々とした景色に気持ちが晴々としてくる。ここでI川さんとY田さんは我々と違うコースを走るとのことで車が置いてある宿に一旦帰ることになった。このあたりで爺のリヤ変速機が1速に落ちなくなった。聞けばY田さんのシクロランドナーも同時に1速に落ちなくなったらしい。

一面に広がる景色は感動的だった

 

出発前旅館の玄関で記念撮影

浴衣とドテラを持った仲間と風呂へ行く。湯舟は広いがカランが二つしかない。湯は少し熱めだがラジウム泉で疲れがじんわり取れていく。翌朝玄関前で記念撮影。左から爺、その右横T澤さん、O久保さん、中腰のI川さん、その右M山さん、一番右Y田さん。

塩ノ沢温泉旅館前で記念撮影

宿の前の県道に出てまた撮影。I川さんミニベロで頑張ってます。Y田さんの車に積みこむのに便利とのこと。I川とY田さんはWFRのメンバーで我々も時々ご一緒させてもらっている。彼らは我々でんでんむしの会会員と違って体力がある。上り坂では置いて行かれることが多い。

旅館前の県道でまた記念撮影

 

夕闇迫るころ塩ノ沢温泉に到着

秋は暗くなるのが早い。山白石小学校跡から700m走ったあたりでもう薄暗くなってきた。この白壁の民家の先を右に曲がれば近いと教わった。だがアップダウンがきつくてはかどらない。最後の丘を越えて前方を見れば何やら白い建物が見える。750mほど走ってやっと目的地の塩ノ沢温泉に着いた。

白壁の家を過ぎれば目的地は近い

塩ノ沢温泉に着いてバッグをはずしてみんな部屋に入っていく。爺は一人みんなの自転車を撮影。多満留食堂で待ち合わせに遅れてしまった我々は漸くWFRのY田さん、I川さんと合流できた。

塩ノ沢温泉の玄関先で

 

明けましておめでとうございます。

塩ノ沢温泉ツーリングの続きです。新年早々少し暗いお話しになりますがご容赦のほどお願いいたします。

山白石の集落では廃校になった山白石小学校跡が現れた。ビリビリに破れた交通安全の幟端、誰もこれを持って渡らなくなった「横断中」の旗、木々の間から漏れるオレンジ色の夕陽....。じっと見ていると侘しくなってくる。閉校のお知らせと感謝を伝える白い看板を大写しにしてみた。平成31年3月とあるから我々が来る8カ月前に閉校になった訳だ。残された児童たちはこの後どこの小学校に通うのだろうか?。最後の生徒数は全校で13名だった。

146年もの長い歴史を持つ小学校だった

同じ様な経過を辿った学校に里白石小学校がある。昼食を摂った多満留食堂から北へ400m、水郡線の線路から100m北側にある学校で1976年浅川小学校から白石分校として独立したが、同じく平成31年3月43年間の歴史に幕を閉じた。最後の生徒数は12名である。最後の日、児童たちはどのような気持ちでみんなとお別れしたのだろうか。下校途中の道すがら何度も後ろを振り返り見送る先生に涙で別れを告げたのだろう。哀しい物語だ。

山白石、里白石,両校とも歴史のある小学校だった




年末にヒマな爺さん

2022年、皆様におかれましてはいかがでしたでしょうか?。皆様が年末忙しく働いていらっしゃるところ爺は新年に向けて準備中の神社を覗いてみたり、つぶれたパン屋を見にいったりしていました(ノンキだねぇ!)。

新年の準備で忙しい神社

今年爺は自転車があちこち具合が悪くなり大変でした。最後に12月27日にダイナモが壊れて発電しなくなりました。年が明けたらまた書いてみたいと思っております。それでは皆様、良いお年をお迎えくださいませ。

以前はベルベというパン屋さんだった