昔スカイラインでこの橋を渡ったことがある、無謀だったなと今は思う
素掘りのトンネルを出るとすぐ30m先に危なっかしい吊り橋が出てきた。棡原橋だ。折から少し風が吹いてきて何やらユラユラ揺れている。眩暈でもしたかと思った。渡り始めると所々底板が壊れていて谷底が見える。おっかねぇぇ~!。地元の人はこの橋を軽四輪で渡っていくんだよね。斯くいう爺も1970年ごろ愛車スカイラインでこの橋を渡ったことがある。1トン近くある車だが意外と頑丈だなと感心したものである。
棡原橋のすぐ手前にあるトンネル
猪丸から旧道に入る。棡原(ゆずりはら)のワイルドな素掘りのトンネルを抜ける。昔の人が削岩機だけで造ったことを考えると頭が下がる思いだ。さぞかし大変だったろうな...と。
以前小菅~上野原の約26kmは全線非舗装だった
小休止の後三人揃って峠を下り始める。大きな水車が目印の長作を過ぎ快調に下っていく。途中西原で小さな峠を越えるがそれを過ぎるとまた下りになる。下りもいい加減にしてくれと言いたくなる。それほど下りが長く続くのだ。画像は2011年6月、日寄せ神社近くの坂本集落。
ガードレールのない非舗装の峠路
峠から小菅方面を見下ろすと200mほど下方に自転車を押して上ってくる長谷川さんが見える。「おーい!」と呼びかけるとニヤリと笑った顔が元気そうで安心する。
爺の髪の毛フサフサだね!
午後1時0分O久保さんと二人で標高870mの鶴峠に到着、長谷川さんを待つ。上りでは暑くて汗を掻いたが峠の丸太の上で休んでいるとあっという間に冷えてくる。
現代の鶴峠上り口
2011年6月に再訪したときは道の両側に樹木が成長しており、一つ前の写真のような荒々しい感じはすっかり消えていた。画像中央部やや左に木の幹を透かして白いガードレールが見える。一つ前の画像は43年前このガードレールの場所に立っていたO久保さんと爺を写したもの。
当時の林道はこの程度の粗雑さが当たり前だった
そこを過ぎると左上に鶴峠の九十九折の峠路が現れる。それにしても当時の林道工事はいい加減だ。画像の左の白い橋台は基礎の下から土砂が流出しているし、我々の上部に写っている斜面は崩落防止策も施していない。右上二つ目のヘアピンカーブの橋台の下も土砂が沢に流れ出してポッカリ穴が開いている。もっともO久保さんと爺が立っているところもいつ沢に崩れ落ちるか分からないぐらい脆弱な感じだ。