小鹿野町飯田の地蔵尊ほか
小鹿野町のはずれ、新道と旧道の合流点から800m進んだところに飯田の地蔵尊が鎮座している。
詳しくは秩父消防署西分署の先約550m、「埼玉砂防発祥の地」の看板の先にある。
最初この場所がまるで分からなかった。グーグルストリートビューで根気よく探してようやく見つけたときは本当に嬉しかった。
地蔵尊の仏様方は55年前と現在でほとんど変わらないが周囲の風景ががらりと変わっていて見つけられなかったのだ。
今ここで写真を撮っていると当時の気持ちが鮮やかに蘇ってくる。
小鹿野の街を出はずれてもなかなか舗装が切れない。
舗装路だと車がスピードを出して通り過ぎるので怖いのだ。ダート路面では車もスピードを抑えてくれるので砂ぼこりだけ我慢すれば気分的には楽だ。
当時ダート路面でないと旅に出たという実感がなかなか湧かなかったのはそういう理由もある。
★西武バス日向バス停付近★
この場所もなかなか分からなかった。飯田の地蔵尊から10,1km進んだところにある。
昔の写真では左側のコスモスが大きく育ってガードレールを覆い尽くし隣に流れている赤平川を隠してしまっている。
それとよく見ると左端上部に山肌を削って道が延び小さな黒い点の志賀坂トンネルに吸い込まれていることが分かる。
2009年になぜここを撮ったのか?、思い出の場所と知っていて撮ったのだろうか?。
答えは否だ。理由はこの場所が狭い山道を抜けて前方が一気に開けたことにある。
爺の性分として大きく景色が開けると思わず写真を撮ってしまう傾向があるのだ。
今も昔も視界が開けて気分が良く写真を撮ったのだろう。癖は治らないものだ。
★浜平へ★
志賀坂峠を越えると国道299号線は直線の多い走り易い道になる。爺が走ったころの国道は神流川に沿って曲がりくねり大変時間がかかった。
楢原を左折して国道を外れ約3,9kmで浜平地区に入る。浜平の小さな標識を過ぎて240m進むと新道に合流し160m先に無料の駐車場がある。
ここに車を停めて中から自転車を引っ張り出す。道路から急な小道を降りていくと右手にかつての林用軌道の橋脚が現れる。
★神流川に架かる小さな橋★
橋脚から少し左に進むとなんとか人間だけなら渡れる弱々しい橋が架かっている。対岸には浜平鉱泉奥多野館跡が灌木を透かして見える。
爺が1968年に来たときは神流川の水量も今よりずっと豊富でザワザワと勢いよく流れていた。川幅も今よりもっと広かったように覚えている。
当時は2枚の板を横に並べて岩伝いに川に架けられておりソロリソロリと自転車を押して川を渡っていった。
橋を渡り終え奥多野館跡に着く。灌木に覆われていて全貌がはっきりしない。
木々が落葉するころならもう少し建物の輪郭が分かるのだろう。